「世界遺産 法隆寺」クラウドファンディング情報

2022年6月15日(水)〜7月29日(日)23:00まで、クラウドファンディングサービスのREADYFOR(レディーフォー)にて、プロジェクト「世界遺産法隆寺ー1400年の歴史遺産を未来へー」が実施されます。

【クラウドファンディングサービスのREADYFOR(レディーフォー)】


■世界遺産法隆寺ー1400年の歴史遺産を未来へー

推古15年(607)、聖徳太子によって創建された法隆寺。
18万7千平方メートルの境内には、現存する世界最古の木造建築群と国宝39件・138点、重要文化財と附指定を含めると約3,000点もの仏教美術品が所蔵され、世界文化遺産に登録されています。

聖徳太子の和の心を現代に伝え、日本人なら誰もが知る法隆寺。
そんな世界に誇る日本の宝を護るためには、表には現れない苦労があります。

 法隆寺が国の補助を受けられるのは、国宝や重要文化財の修理の時などだけ。
広範囲におよぶ通常の維持管理(境内全域の設備等の点検を含むメンテナンス、警備、宝物や建造物の日常の維持管理、樹木の管理、境内の営繕など)の費用は、参拝にお越しいただいた方々の拝観料で賄ってきました。

 しかし新型コロナウイルスの感染拡大の影響により、年間の拝観者数が激減。
通常の維持管理費を、可能な部分は先延ばしにして約50%(※)にまで節減してきましたが、このままこの状況が続けば法隆寺を十分に護っていくことが危ぶまれます。
※当寺院調べ

そこで今回、クラウドファンディングを通じて皆さまからのご支援を募ることを決意いたしました。
1400年の歴史遺産を護り、未来へとつなぐため、あたたかいご支援を賜りますよう何卒よろしくお願い申し上げます。

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■なぜ法隆寺がクラウドファンディング?

聖徳太子によって、推古15年(607)、奈良の斑鳩の里に創建された法隆寺。現存する世界最古の木造建築群と、国宝・重要文化財など優れた仏教美術品を数多く所蔵し、世界文化遺産に登録されております。

日本人なら誰もが知る法隆寺が、なぜクラウドファンディング?

実は法隆寺が国の補助を受けられるのは、国宝や重要文化財の修理の時などだけ。
通常の維持管理の費用は、参拝にお越しいただいた方々の拝観料で賄っております。

しかし、令和2年以来の新型コロナウイルスの感染拡大の影響により、年間の拝観者数は激減。
昨年は何とか50%程度まで戻りましたが、まだまだ厳しい状況が続いております。
この窮地を乗り越えるために、境内の営繕など可能な部分は先延ばしにして経費の節減を計って参りましたが、これが2年3年となると、そういうわけにもいかず、今回クラウドファンディングへの挑戦を決意した次第であります。

▼国宝 中門
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▼国宝 金堂
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▼(左)国宝 木造百済観音像 (右)国宝 玉虫厨子
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▼1400年御聖諱法要 蜂起の儀
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▼1400年御聖諱法要 管絃講
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維持管理費と申しますのは、境内全域に設置されている設備等のメンテナンス、昼夜における境内の警備、宝物類とその保存施設の維持管理、日常における建造物や宝物の修理、樹木の管理、境内の営繕など広範囲に渡ります。

法隆寺の境内、18万7千平方メートルの敷地には、国指定の国宝・重要文化財55棟を含め、約150棟の建造物が点在しています。
これらの建物の中には、国の国宝・重要文化財に指定された美術工芸品約2,500点(附指定を含むと約3,000点)が保管され、それに未指定の美術工芸品を加えますと約65,000点にも上ります。
その他、瓦類(約9,900点)や修理によって取り外された部材(古材)・出土品などもあります。

このような多くの宝物を護持するための維持管理に加え、拝観にお越しいただいた方々に対する環境整備も欠かせません。
これらを維持するために、多額の経費が必要になります。
コロナ禍における減収によって、令和2年度・3年度の未指定の建造物や宝物の修理、樹木の手入れ等を先延ばししてきましたが、それでも非常に多くの管理費がかかっております。

▼樹木の手入れ
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建物や宝物の保存修理、境内整備などの営繕の結果は、拝観者の皆さまにも見ていただくことができますが、宝物の保管や防災設備の保守点検などは、表に現すことができません。
しかし法隆寺を護り続けるためには必要不可欠で、毎年期間を決めて行わなければならず、怠ることもできません。

法隆寺が保有するおよそ65,000点にもおよぶ歴史的遺物は、決して野ざらしにしておけるものではなく、保管する建物が必要です。
昭和16年に博物館相当施設として建てられた大宝蔵殿をはじめ、昭和27年には金堂の焼損壁画を保管する収蔵庫、昭和41年には北倉、昭和42年には工芸収納庫、昭和59年には古材収納庫、そして平成10年には展示施設である大宝蔵院が随時建てられてきました。

しかし、これらの建物はほとんど改修の手が加えられることなく現在に至っております。
一番新しい大宝蔵院にしても、もうすでに25年が経とうとしております。
今後これらの収蔵施設の改修、さらには参拝者用の通路やスロープ・トイレ・休憩所などの施設の改修、老朽化した塔頭の改修、排水路・下水路の整備も考えなければなりません。

これからも変わらずに、全国・全世界の皆さまにご参拝いただくため、そして日本の宝である法隆寺の文化財を護り、未来へとつなげるためには、皆さまからのお力添えが必要です。
あたたかいご支援を賜りますよう、何卒よろしくお願い申し上げます。

【クラウドファンディングサービスのREADYFOR(レディーフォー)】

■時を越え伝える、聖徳太子の和の心

松の翠の美しい矢田丘陵を背に、大和平野を広々と見渡す斑鳩の里に聖徳太子が斑鳩宮を造営されたのは推古天皇9年(601)。
ほどなく太子は、ここに亡き父用明天皇のため寺の造立を発願され、推古15年(607)ごろに完成したのが法隆寺です。

太子は中国の優れた政治や文化、とりわけ仏教を積極的に取り入れ、四天王寺、中宮寺、広隆寺などの寺々を建立し、冠位十二階や憲法十七条の制定、遣隋使の派遣などによって国の発展を計られましたが、惜しくも推古30年(622)49歳のとき、人々の悲嘆のうちに薨去されました。

その後太子の志は、太子の遺訓を守る長子の山背大兄王が受け継がれるところでありましたが、蘇我入鹿の軍勢により、大兄王をはじめ太子の一族は滅亡しました。
法隆寺はその後も太子を慕う人々によって護持されたと伝えますが、『日本書紀』によると天智9年(670)、一屋余す事無く焼失したと記されています。

しかし間もなく再建が進められ、遅くとも奈良時代の初頭までには飛鳥時代の様式で中心伽藍が復興され、やがて旧にも増した寺観が整えられたのが、世界最古の木造建築群として知られる現在の西院伽藍です。

一方、斑鳩宮は、荒廃にまかせるままになっているのを嘆かれた奈良時代の高僧行信僧都が、天平11年(739)ごろ、太子の菩提を願って宮跡に建立されたのが夢殿で、これを中心とした建築群が東院伽藍です。
このような幾多の経緯にもかかわらず今日の法隆寺では、飛鳥時代以来の多くの仏像や建造物のほか、あまたの美術工芸品を眼前にすることが出来るのは誠に幸いなことであります。

法隆寺は、国宝39件・138点、重要文化財と附指定を含めると約3,000点におよぶ優れた仏教美術品を所蔵しております。
さらに未指定の美術工芸品を加えますと、総数は約65,000点にも上ります。

飛鳥時代、奈良時代の仏像と仏教美術品を豊富に保有する法隆寺は、日本最初期の仏教美術の宝庫と言えます。
皆さまも教科書などで、一度は目にしたことのある所蔵品も多いのではないでしょうか。

▼国宝 五重塔
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▼西院伽藍全景
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▼国宝 夢殿
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▼(左)国宝 木造持国天像 (右)国宝 金銅薬師如来像
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▼(左)国宝 金銅夢違観音像 (右)国宝 木造九面観音像
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▼(左)国宝 橘夫人念持仏 (右)国宝 金銅釈迦三尊像
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▼金堂再現壁画-6号壁-阿弥陀浄土(部分)
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■ご挨拶

法隆寺は聖徳太子の父用明天皇の為に、推古天皇と聖徳太子によって607年に創建されました。
しかし670年に焼失したとされ、すぐに再建されたと言われています。
とくに西院伽藍は現存する世界最古の木造建築で、1993年
には「法隆寺地域の仏教建造物」として日本で最初の世界文化遺産に登録されました。

 法隆寺には現在国宝と重要文化財に指定されている、建築物や仏像や美術品などが、約200件伝えられています。

しかしながら、2020年2月ごろより新型コロナウイルス感染症が全国的に拡大、「新型コロナウイルス感染症対策」の基本方針が決定され、感染の拡大を防ぐため、様々な行事や催し物が中止、各自の行動の自粛が求められ、参拝者が激減致しました。

参拝料に頼っての運営をする法隆寺にとりましては、大変に厳しい状況で有ります。
ご参拝下さる皆様が激減した今、修理・保存にかかる費用の捻出が大変難しくなりました。

そこで貴重な文化財を未来に伝え残す為にも、クラウドファンディングによって運営資金を募ることといたします。
皆様方のご支援をお願い申し上げます。

法隆寺 住職
古谷正覚

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【クラウドファンディングサービスのREADYFOR(レディーフォー)】


■リターンのご紹介

●供養札

ご支援をいただいた方のお名前を書いて、百済観音像(飛鳥時代、国宝)の足下にある奉経室に納めさせていただきます。

寺院では勧進と云って、仏堂の建立や仏像の造顕や修理などを行うために、多くの人たちの協力を得て行う事業があります。
その事業に協力した人たちの寄捨結縁を示すのが供養札です。
また財力がなくても分け隔てなく簡単に行える像造供養のひとつに、仏・菩薩等の姿を紙に捺した印仏があります。
今回の供養札には、平安時代の印仏(千体仏の一体)をいただいております。
皆様方の善行功徳を記した供養札は、大宝蔵院百済観音堂にお祀りする百済観音像の足下にある奉経室に納めさせていただきます。

●限定御朱印

法隆寺のご本尊、金堂の釈迦三尊像を梵字で顕した御朱印です。
文字は光背の裏面に刻まれた「尺寸王身釋像」、聖徳太子と同じ身丈の釈迦像であるという意味です。

聖徳太子がご病気になられたときに、そのご病気の回復を願って聖徳太子と同じ身丈の釈迦像を止利仏師に造らせた、しかしそれが叶わないときは、浄土に登り早く妙果を得られるように、という願いなどが光背の裏に刻まれています。
結局、聖徳太子はこの像が完成する前にお亡くなりになり、この釈迦像は聖徳太子ご自身として、篤く信仰されることとなります。

●御朱印帳(限定御朱印入り)

聖徳太子「十七条憲法」第一条の版本(鎌倉時代の板木、重要文化財)を扉に印刷した法隆寺オリジナルの御朱印帳です。

●散華

法要の際に仏を讃嘆し供養するために撒く花で、蓮弁形の紙に図柄などを施して作ったものです。

散華 再興100年「和」(3種3枚組)<終了>

明治維新によって退廃した法隆寺が、再興に向けて法相宗独立の認可を得たのが明治15年。
丁度、百年目にあたる昭和57年に、諸先徳の偉業を讃える法要を勤修。
この散華は、その時に聖徳太子の「和」の字に、再興に功績のあった佐伯定胤和上と佐伯良謙和上の「和」の字を加えて作成したものです。

散華「1360年」安田靫彦画伯・前田青邨画伯・平山郁夫画伯筆(木版刷り/3種3枚組)<終了>

昭和56年の聖徳太子1360年御聖諱法要用に、金堂壁画模写に功績のあった画伯に依頼して木版で作成した散華です。

 散華「昭和大修理」吉岡堅二画伯筆(木版刷り/5種5枚組)

昭和9年から始まった法隆寺全伽藍に及ぶ大修理が昭和60年に完成。そ
れを祝う法要用として、金堂壁画模写に功績のあった吉岡堅二画伯に依頼して作成していただいた木版の散華です。

散華「吉田画伯」<6/16追加><終了>

この三枚一組の散華は、日本画壇を代表される吉田善彦画伯の作品です。いずれも飛鳥・白鳳の法隆寺を髣髴させるものがあり、法隆寺を愛でられる画伯ならではの素晴らしい散華です。

●赤膚焼 白ぐい呑 <終了>

法隆寺伝来の「鳳凰丸」紋を器の見込みに模様としてあしらったぐい呑みで、高台脇に赤膚焼大塩昭山の落款が押されています。

●特別拝観

平素公開していない上御堂(鎌倉時代、重要文化財)の堂内などを含め、寺僧がご案内いたします。

●寺僧による法隆寺の特別案内・奉納鏡奉納

重要文化財指定の西園院客殿にて、松喰鶴の図円鏡(平安時代後期)の複製に願いを刻み込んでいただき、奈良時代の創建と伝えられる西円堂のご本尊「国宝薬師如来像」に御奉納いただきます。
続いて寺僧が境内のご案内もさせていただきます。

日本における仏教寺院への鏡の奉納は、仏教が伝わった頃から行われていたとされ、奈良時代の『法隆寺伽藍縁起并流記資財帳』にも鏡の奉納記録がみられます。
また鏡は仏舎利を塔に奉安するときの荘厳具としても使用され、法隆寺五重塔にも埋納されています。
法隆寺の西円堂では、本尊の薬師如来(奈良時代、国宝)に除病延命や身体の健全など、現実的な加護を願って多くの鏡が奉納されております。
このように鏡は、自らの願いを託すものとして、特別な扱いがなされて来たといえます。
このたび御奉納いただく鏡は、西円堂に奉納された日本製の鏡「和鏡」の中で最も古い、平安時代後期の松喰鶴の図円鏡の複製となります。

●古材台(焼印入り)

法隆寺の主要建造物の創建当初の部材ではなく、各時代の修理において付加された木材で、昭和の大修理の際に取り除かれた廃材を台として加工したものです。
裏に法隆寺の古材であることを示すために焼印を押しています。

●南無仏太子像(博多人形)

聖徳太子が二歳の春に東向いて、「南無仏」と唱えられたという説話に基づいて造顕された像で、平成3年の聖徳太子御忌の記念品として、博多人形師中村信喬先生に作成していただいた像です。台座に古材を使用しています。

聖徳太子が二歳の春、2月15日のお釈迦様涅槃の日に東向いて「南無仏」と唱えられた時、合掌された手中から舎利が現れたという説話に基づく像。
平成3年、聖徳太子がお亡くなりになって1370回忌に当たる御忌法要の記念品として、当時、日本工芸会正会員人形師の中村信喬先生に作成いただいた像です。
台座には、かつて法隆寺の建造物に修理用後補材として使用されていたが、昭和大修理において取り除かれた古材を使っています。

●百万塔(複製)

奈良時代に造塔の功徳を願って、称徳天皇が発願された百万塔を、同じ材質の桧で同じ大きさに作製した模造。
底裏には法隆寺の焼印を押しています。

天平宝字八年(764)に藤原仲麻呂(恵美押勝)の乱を鎮圧した後、称徳天皇が発願して三重小塔百万基を造らせ、十大寺に十万基づつ納めたのが百万塔です。これは造塔と陀羅尼の書写によって、延命や滅罪等の功徳を願うもので、塔の中には、その功徳を説く『無垢浄光大陀羅尼経』が納められております。伝存したのは法隆寺だけで、四万六千基余り保管しています。

●侍者像(複製)

 五重塔初重東面に配置された塑像(国宝)の中の一体で、昭和57年に就任した当山管主の晋山記念の品として制作された模造です。

五重塔の初重内部は、心柱の四隅に立つ柱を囲むように塑土で須弥山を洞窟状に築き、東西南北の四面に和銅4年(711)に造顕された塑像の群像を配置して、仏伝世界を表しています。
その東面は、『維摩経』に説かれる維摩詰の方丈での問答の様子を、維摩詰と文殊菩薩の像のほか、二菩薩と十二体の侍者像などによって表現しています。
この侍者像は、その十二体の内の一体です。

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